廬山温泉(マヘボ社)

廬山温泉は旧マヘボ社があったところです。マヘボ社は霧社事件のモーナルダオ(莫那魯道)が住んでいたところです。

 

霧社事件

昭和5年(1930年)10月27日早朝からマヘボ社頭目のモーナルダオをリーダーにセデック族300名ほどが霧社周辺の駐在所を襲った後、公学校で行われていた運動会を襲撃した。日本人約140名が惨殺されその多くが斬首された。

その後軍と警察が制圧にあたり、セデック族700人以上が戦闘で命を落とした。また投降したセデック族を同じセデック族のタウツア社が襲い200名以上が惨殺される第二霧社事件が起きた。

 

埔里のバスターミナルは2か所あります。廬山温泉に向かうバスは國光客運と南投客運のターミナルから発着します。

ここから廬山温泉のバスに乗ります。

廬山温泉のバスの発車時間になると改札ゲートの上の行き先が点灯します。しかし第6月台(プラットホーム)がどこにあるのか不明です。そもそもそんなにバスが停まるスペースはありません。

霧社を過ぎて廬山温泉に向かう途中にある雲龍橋。(旧龍雲橋)コンクリート製の主塔はモーナルダオたちが落としたつり橋の遺構と言われていますが、それにしては立派すぎます。霧社事件後に作られたものかもしれません。

人止関。日本統治以前、漢人はここから先命の保証はないといわれた原住民との境界地。バスの窓越しなので画質が悪くてすみません。

モーナルダオと霧社事件の概要が書かれた案内板です。

地図があるのですが、これがまたnot to scal過ぎます。めちゃくちゃです。

廬山温泉は2008年に起きた水害で壊滅的な被害を受けました。今後も被害が拡大する恐れがあるため、温泉街の廃止と住民の移転が進められています。

すでに多くの旅館と店は廃墟と化しています。

 

有名な吊り橋。つり橋から上流を望みます。

 

橋を渡るとまた商店街がありますが、ほとんど廃業。しばらく進むと入れ墨をした原住民の石像があります。

地熱井跡。

さらに急坂を登ると。

 

マヘボ社跡です。霧社事件の後すべて燃やされて廃村になります。廬山温泉はその10年後1940年ごろから開発されました。

 

商店街の途中から曲がる道を行くとモーナルダオ記念碑があるはずなのですが、断念しました。

モーナルダオたちはこの山の上でゲリラ戦を戦ったようです。

お茶屋さんで高山茶を買いました。300gで600元でした。試飲させていただきました。

 

香りが高くておししいです。

バス停でバスの写真を撮っていたところ、バスは止まらずに通過して行きました。ここはバスの折り返し地点です。台湾のバスは手を挙げてアピールしないとバス停にいても止まってくれません。それは知っていたのですが、発車時間までまだ時間があったのでカメラを構えていました。発車時間より3分早発です。